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山下屋の記憶

飛騨高山に、百三十年以上の時を重ねた一軒の家があります。

太い梁、柱、床の間、長い年月を歩んできた床板。

そして、この家には建物だけではなく、

二台のピアノ、書棚に残された本など、

かつてここで暮らした人々の痕跡が残されていました。

それらを一つずつ調べていくと、二人の名前が浮かび上がってきます。

山下佐助。そして、山下笛朗。

一軒の古い家に残されたものから、高山の町へ。

山下屋の歴史は、少しずつその先へとつながっていきました。

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「山下屋」と鳳凰台

「山下屋」は、この宿のためにつけた新しい名前ではありません。

山下家に古くから伝わる屋号であり、

「佐助」の名が代々受け継がれてきました。

高山に残る幕末の記録にも、

「山下屋佐助」の名を見ることができます。

そして山下家の歴史は、高山祭とも深くつながっています。

文献には、鳳凰台の建造に際し、

組内の山下佐助が費用の大部分を負担したため、

一時、「山下屋の屋台」と呼ばれていたことが記されています。

佐助は、鳳凰台の屋台組を束ねる立場でもありました。

一軒の家の屋号が、祭屋台の呼び名になる。

そこには、山下家が高山の町とともに生きた時代がありました。

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この家に暮らした音楽家

山下笛朗

1903年、明治36年。

山下家に山下笛朗が生まれます。

笛朗は音楽の道へ進み、小松耕輔、木下保、成田為三らに師事。

その後、斐太中学校で音楽教育に携わりました。

現在の斐太高等学校にもその功績は残され、
飛騨地域における西洋音楽・学校音楽教育の草分け的人物として
紹介されています。

1936年、斐太中学校創立50周年を記念してつくられた
「斐高行進曲」。

作詞は、高山を代表する詩人・福田夕咲。
作曲をしたのが、山下笛朗でした。

笛朗は作曲だけでなく、飛騨の音楽教育にも力を注ぎ、
後には高山市民合唱団「飛響」の創立に尽力し、初代団長を務めました。

一人の教師が学校で伝えた音楽は、やがて学校の外へ。
そして、高山の町へと広がっていきました。

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石に残された音楽

「飛騨山娘」

笛朗が残した音楽は、山下屋の中だけに残っているわけではありません。

その一つが、笛朗が作曲した「飛騨山娘」です。

この曲は人々に歌い継がれ、後世へ伝えるための歌碑が建立されました。

現在も高山の町、駅前には、その歌碑が残されています。

音楽には、本来、形がありません。

演奏が終われば、音は消えていきます。

けれど、人から人へと歌い継がれた音楽は、やがて石に刻まれました。

山下屋の中には、笛朗が暮らした痕跡が残り、

町には、笛朗が残した音楽がある。

家の中にも、町の中にも、笛朗の記憶は残っています。

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この家に残された二台のピアノと本

山下屋には、二台の古いアップライトピアノが残されていました。

山下家のご家族から、笛朗が使用していたと伝えられているものです。

そのうち一台に残る「6095」という番号についてヤマハへ照会したところ、
製造番号である可能性が高く、

明治から大正時代に製造されたものと推測されるとの回答がありました。

残されている製造番号資料でも、

「6095」は大正期にあたる番号と考えられます。

高山に鉄道が開通したのは、1934年(昭和9年)。
このピアノがつくられたのは、それよりも前の時代です。

このピアノがいつ、どのように山下家へやってきたのか。
その詳しい経緯までは、今もわかっていません。

けれど、一世紀ほどの時を経て、
笛朗が弾いたと伝えられるピアノは、今もこの家に残っています。

そして、ピアノとともに残されていたのが、笛朗の蔵書です。

何を読み、何を学び、何を考えていたのか。

書棚に残された本もまた、
笛朗という人物と、この家が過ごしてきた時間を知る手がかりです。

山下屋では、これらを大切にしまい込むのではなく、
実際に触れていただけるものとして残しています。

ピアノの鍵盤に触れ、音を奏でる。
書棚から一冊を手に取り、ページをめくる。

それらは、古民家らしく見せるために後から集めたものではありません。

この家に、本当に残されてきたものです。

見るだけの歴史ではなく、触れることのできる歴史。

かつてこの家で誰かがそうしたように、本を読み、ピアノを奏でる。

その時間もまた、山下屋の新しい記憶になっていきます。

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古いものを飾るのではなく本当に残ってきたものを残す

山下屋は、新しくつくられた「古民家風」の宿ではありません。

百三十年以上を生きてきた、家そのものです。

床の間。

太い梁と柱。

長い年月を重ねた床板。

古い建具。

そこにある古さは、現代の材料でつくられたものでも、

古く見えるように加工されたものでもありません。

この家が百三十年以上かけて刻んできた、本物の時間です。

だから山下屋では、すべてを新しくすることを選びませんでした。

残せるものは、できる限り残す。

傷も、色褪せも、木のゆがみも、

この家が生きてきた時間の一部として受け継いでいます。

一方で、古い暮らしの不便さまで残す必要はないと考えました。

浴室、洗面、トイレ、キッチンなどの水回りは、現代の設備へ。

歴史を感じる空間の中でも、

滞在そのものは快適に過ごしていただけるよう整えています。

古さを新しくつくるのではなく、本物を残しながら、快適さだけを現代へ。

それが、山下屋の考える古民家の残し方です。

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百三十年の歴史を、一晩あずかる。

​

かつてこの家で、人々が暮らし、本を読み、ピアノを奏でたように。

今度は、旅人がここで一夜を過ごします。

​

百三十年という時間から見れば、一晩はほんのわずかな時間です。

けれど、その一晩もまた、山下屋の歴史の一部になっていきます。

​

ピアノに触れる。本を手に取る。古い床板を歩く。梁を見上げる。

​

ここに残された時間を、ただ眺めるのではなく、その中で一晩を過ごす。

歴史を見学するのではなく、その続きを、一晩だけあずかる。

​

そして朝になれば、また次の時間へ。

​

山下家から受け取った百三十年を、次の百年へ。

​

YAMASHITAYA
Hida Takayama, Japan

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